押入れ売店
うちの父はだいぶ変わりものである。
背も高く、地黒で、筋肉質。
そんな一見怖そうな印象の一方、会社から帰ってくると自分の見た目が日本人から少しかけ離れたことを知ってか知らずか、ドアの隙間から「チャオ⭐︎」と挨拶をしてくる。恐ろしくフレンドリー。
中東系というか、少しスペイン系の造りをした顔であるため、昔お祭りに行った時にケバブを売っているお兄さんに「ウチのパパに似てるヨ!」と言われていた。
ちなみに中学生だった私は「オネエさん、はるな愛に似てるネ!」と言われたがどういうリアクションが正解だったのかいまだにわからない。
さらに、横浜のショッピングセンターで母と買い物をしていた時、違うショップを見ていた父から「なんかインド人の女性からZARAはどこにあるかって聞かれてるっぽいんだけどもうわからないから助けてくれ。」と必死に電話がかかってきたこともある。日本人だらけの中、唯一英語が通じる相手と判断されたのだろう。
学生時代は経営学を学んでいたらしく、お店の運営などに興味があるらしい。
そんな父がある日、含み笑いをしながら「二階に売店を始めたから見に行ってごらん。」と言ってきた。
全く意味がわからない。
突拍子も無い父の提案を聞きとりあえず二階へ行く。その後ろをにやにやとしながら着いてくる父。
和室の引き戸を取っ払った二階の押入れには歯磨き粉や歯ブラシ、トイレットペーパー、さらには駄菓子屋で売っているコーラのラムネなんかのちょっとしたお菓子も同じように綺麗に並べられていた。丁寧な手書きで「30円」などと安価ではあるが値札もついていた。
端にひっそり置かれた小さなドラえもんの貯金箱にお金を入れて、商品を持っていくシステムのようだ。
父は嬉しそうだった。
私も少しウキウキした。
小学校の時に年に一度あった手作りのスライムや小さなクッションなどを紙の通貨で売ったり買ったりするイベントを思い出した。
すると生活の中で「上で歯磨き粉買ってきて。」などという会話が生まれるようになった。きっと他の人が聞いたら「どゆこと?」となるだろうが我々にとっては日常の一部にちょっとしたエンターテイメント性が与えられたような気持ちだった。
しかしこの「押入れ売店」は長くは続かない。
盗難が増えたのである。
店主は父、顧客は家族、という間柄、「まあ今回くらいはいいか〜」という甘えた感情からドラえもんの貯金箱を一切無視した「盗難」が続出。
万引き犯は主に母であったように思う。
理由は「めんどくさいから」。
お金の出所は同じなのに一々お金を入れるのは意味がわからないというのが母の言い分であった。
間違いない。
しかしこの売店を楽しんでいた父からするとこのままでは運営ができなくなる。
「ねえ!?また盗まれてるんだけどお?!」という父の訴えもイッテQを見ながらソファでゴロゴロしている我々顧客の耳には届かない。
そして「押入れ売店」は閉店を余儀なくされた。
いつ閉店したのかさえわからない。いつのまにか、閉店していた。
あれからもう何年経っただろうか。
いまでも時々この「押入れ売店」の話が家族内で持ち出される。
父は言った。
「これがホントの万引き家族ってな〜〜!!」
父の冗談は家族の耳には届かず、我々は尚ソファでゴロゴロしながらイッテQを見続けるのである。